アルコールに依存する

 まだ駆け出しの頃、お願いして精神病院(今は精神科病院と言います)に実習にいかせてもらったことがある。資格のためや、キャリアのためではなく、地域で仕事をするためには、病院の中を知らなければと思ったからだ。幸い、若造には過分な配慮をしてもらい、ある病院のアルコール病棟で1週間実習することができた。アルコール依存症は、現実を認めない、隠す、嘘をつくから否認の病とも言われ、合併症を含めるとその生存率は10%程度と言われた時代である。依存症を抱える人の家族も「この人がダメになる」とわかっていながらお酒を用意してしまう「共依存関係」にあるので、家族関係の修正も大事であるし、そもそも治療と言っても、医療機関でアルコールを解毒して、あとは本人の意思で治す治療が主流であった。それは今も変わらないようであるし、治療に欠かせないのは同じ病を持った人同士の助け合いのグループである「自助グループ」AA(アルコホリックアノミマス)や断酒会という団体である。
 病棟では、患者さん達によくしてもらった。明日退院という人に病棟で隠れてお酒を飲む方法を教えてもらったり、行軍(体力作りのために何キロも歩く散歩)で足を挫いてしまい、看護師には呆れられたが、患者さんに処置してもらったり、そこにいたのは、底抜けに優しくて、だからこそどこか弱い人達だった。
 その後、仕事で家で暴れる、経済的に破綻する等の相談で、お酒を飲んでしまったアルコールに依存する人たちに何度も出会った。自分が出会えた時点で助かりたいと考えているわけだから、回復の過程にあったのだとは思うが、依存症独特のすえた匂いがする人たちで、病棟で治療を受けている人達のスッキリした雰囲気とは違い、現実に傷つき、心ない言葉に傷つき、そのすべてを忘却していきたい独特の雰囲気があった。
 アルコール依存症の治療では、患者さん自身が必ず「底付き体験」という無力な自分を認めるときを経験するそうだが、「どうしても今の気持ちを聞いてくれ」と懇願され、時間外でもあったので気はのらなかったが訪問した時に、「いかに自分がダメであったか」を延々と語った人もいた。自分は、何かの悟りを開いたその瞬間の迫力にただただ圧倒され、深い感動を覚えた。
 自分にとってのアルコール依存症は、このようなイメージだった。
が・・・今は違う。アルコール依存症と言われ、治療を受けている患者さん達には、3つのタイプがあるように思うのだ。(続く)

俺をなんとかしてくれ。

「お金がない」「仕事がうまくいかない」「人間関係で悩んでいる」といった様々なことが相談に寄せられる。そのなかに、時折「この自分をなんとかしてくれ」という相談が混じっている。
 「苦しくて何をしたらいいのかわからない」という相談と同じようだが、少し違う。「何をしたらいいのか」という相談は、立ち止まっている状態だ。今の状態をなんとか打開するために、よい考えが浮かばない、もしくは手段が見つからない、または手段があるのは分かっているのだが、チャレンジする勇気がわかない、といったような状態だ。
 このような場合には、手段や考えを一緒に考える、不安を和らげるという目標がたてられる。答えは自分自身が持っているので、そのことに気づいてもらうだけで済む場合も多い。
 「俺をなんとかしてくれ」というのは、このままでは何をするか自分自身でもわからない。俺を止めてくれ、何をするのか決めてくれ、という状態だ。自分が考えるのも決めることもできないので、何とかして欲しいという訳だ。中には自分自身で責任を負うことに耐えられなくて、このようなことを言う、つまり、相談を受ける側に自分の行動の責任を負わせようという意図が見え隠れする場合もある。

もちろん、責任転嫁だけの話ではない。ひとことで言えば、ブレーキが機能しなくなっている状態である。

 ひとつめ。はじめからブレーキがない場合。生理的なもの、先天的なもので、例えば、自閉症のパニックやホルモン等のバランスにより食欲が増進するような場合である。多くの場合、周囲の配慮や環境調整が必要となる。
 ふたつめ。ブレーキが壊れてしまった場合。代表的なのは、アルコールや薬物の依存、ギャンブルや買い物等のプロセス依存などがある。この場合は、ブレーキを直すか、ブレーキを使わなくてもいい状態にする、つまりアクセルを踏まないようにする支援が必要となる。
 みっつめ。ブレーキの使い方が分からない場合。児童虐待などの経験がある場合には、そもそもブレーキの使い方を教えてもらっていなかったり、間違ったことを教えてもらっていたりする。また、自分のこだわりや固執により、ブレーキをかけることを忘れてしまっている場合もある。この場合には、教習所の指導教官よろしく、助手席に乗って指導的に支援するか、ブレーキの存在に気付いてもらう算段をする。
 
 アクセルを踏んだままの本人を周囲が止めようとすれば、アクセルを踏んだまま、ブレーキをするようなものだから、そこには異常な熱が発生し、機構そのものが壊れてしまう。本人と周囲の関係は悪くなるか、最悪、壊れてしまう。それよりも、ブレーキの存在に気付いてもらい、本人がブレーキを踏めるようになれば、周囲も本人も楽である。

 目指すのは「本人がブレーキを踏む」ことである。

他の人もいますから・・

 人に迷惑をかける、もっと言えば、自分がごねていることも気づかずにごねられたり、こちらの時間をまったく気にせずに延々と話をされたり、もしくは他の人に手を出してしまうような行動障害、行為障害の人など、対応が難しい人に対して言ってしまいがちなのが、「他の人もいますから・・・(そろそろ終わりにしてもらえませんか)」という言葉である。
 対応する側からすれば、他にも相談者がいたり、利用者がいるのは事実であるし、確かに他の人からすれば、当の本人は迷惑な存在であるのも確かである。

 しかし・・である。

 そもそも「他の人もいる」とわかっていて、このような振る舞いをする人は、相談とは別の意図があると思う。言葉は悪いが、難癖をつけて自分の要求を通そうという人たちだ。この場合、「他の人もいますから・・・」という言葉は相手に自分のほほを向けて、叩いてくださいと言っているようなものだ。
「それじゃあ、この私はどうなってもいいのか。こんなに困っているのに。困っている人間をほっておくのはここは」というようなことを返され、返答に困り窮地に立たされる。大したことでなければ、なかば釈然としない気持ちのまま、相手の言うことを飲んでしまうこともある。が・・一度そのようなことをしてしまえば、次からは相手のペースから始まり、より一層困難な支援になるだろう。生きる術としてこのような交渉術を身に付けてきている人たちは、やはりこのやり方が正しいと思うだろう。

 その他大多数の人たちは、「他の人がいるのはわかっているけれど、それどころじゃないほど困っている」と感じているか、そもそも「他の人」の存在を認識できないのである。
 迷惑なのは承知だけれども、それどころではない、のだ。こういう人たちにとって、「他の人たちもいますから・・・」というのは、言い訳に聞こえる。
 つまり、「受け止めてもらえないんだ」「できないんだ」ということになる。行動障害を持つ人の家族は、大変なのは分かっているし、迷惑をかけるのもわかっているけれども、それでも頼まなければ生活が成り立たないから、心苦しいけどお願いをしている。支援がサービスだからと言って、迷惑をかけていいと割りきっているわけではない。その家族に対し「他の人もいますから・・・」と言うのは、「やっぱりダメなんだ」というあきらめと絶望を与えるだけである。
 そもそも、「他の人もいますから・・」というのは、自分が対応できないことを他の人の責任にしていることになる。それに、相談している人にとっては、他の人はまったく関係ない。関係あるのは、相談を受ける側の都合である。

 相談を受ける方は、神様ではない。物理的にも精神的にも能力的にも限界はある。自分にその限界が訪れた時、言わなければならないのは「他の人もいますから・・」という言葉ではなく、自分では難しいということを誠実に伝えることである。
 相手の不安や悩みをできうる限り受け止めて、そして受け止めてもらえたという実感を相手が持てるように努力をして、その上でしっかりと現実を伝える。
 そうした姿勢から、すべてははじまる。

 「他の人もいますから・・・」という言葉は相手に甘えている。
 絶対に言ってはいけない。

その子らしく・・

 幼稚園の頃、羽田空港に遠足に行った。そして帰ってきてから、みんなで空港の絵を描いた。ジャンボジェットの大きさや空港の大きさに子供ながらに感動したのだろう。当時の自分は用意された1枚の四つ切り画用紙では足りず、先生にお願いして4枚使って、のびのびと羽田空港を描いた。もちろん、他の子は1枚の画用紙の子が多かった。自分は幼稚園の1期生だったから、それが前例になったらしく、その後数年、6枚、8枚と好きな枚数で自由に表現することが出来ていた。
 それがある年から、お行儀よく1人1枚となってしまった。後で聞いた話だと「不公平だ」とある保護者から苦情が入ったからだそうである。
 小学校の時、いまでは何でそんなことをしようと思ったのかさっぱり思い出せないのだが、友達を誘って模造紙と工作用紙で「理想のまち」を作った。親が建築士だという影響もあったのか、建築のコンペに出すような都市模型の子供版だ。先生にお願いして毎日、放課後の教室に残り、工作用紙で家やビルやジェットコースターなどを作っては模造紙に張り付けた。模造紙数枚分になった理想のまちは、廊下の壁に画鋲で張り付け、「これは友達と作った理想のまちです」と説明をつけた。そして、数週間して気が済んだ頃、作った自分と友達で剥がしてゴジラのように壊し、最後はゴミにして焼却炉で燃やした。
 先生は、まちを作ることについては、ほめてもくれなかったけれど、ダメだとも言わなかった。何か他所から言われたかもしれないし、「そろそろ片付たら」ぐらいは言ったかもしれないが、うるさいことは一切言わず、自由に作ることを許してくれた。もちろん学校の成績にも関係はなかった。でも、自分は自分がやりたいことを最後までやりとげたし、とても満足できた。

 今の教育はどうなのだろう?その子らしく、その人らしく、と言っても、画用紙1枚分の個性なのだろうか、1枚で収まらない個性は許してくれるのだろうか。
 放課後、自由に工作を許してくれるのだろうか、それとも管理の都合でダメと言うのだろうか。その子らしく・その人らしく、と言いながら。

 気になって仕方がない。

知らないことを知る

 とても有名な言葉に、「無知の知」がある。かっこいい言い方をすれば「知らない自分を知れ」とでもなるのだろうか。相談の場面では、少し意味合いが異なってくる。自分の目の前に現れた人をどうも理解できない、どうもしっくりこないと感じた時に、いや、人によってはまったく感じないこともあると思うが・・何か知らないことがあると考えるのが自然だ。このような時はたいてい自分の経験や知識は邪魔になる。自分の経験や知識は、推測や思い込みを作りやすい。わからないままでいること、未知のものをそのままにしておけるほど、人は強くない。できるだけ事態を把握していることが自分を生かす確率をあげるからだ。ほぼ本能的に推測する方向に頭は働く。
 だが、福祉は「自分を生かすことよりも人を生かす」職業だ。人を生かすためにはまず自分をなだめ、自分を殺さなければならない。具体的には、何を知らないのか、何がわかっていないのかを特定する作業をしなければならない。相手が相手自身を生かすために、本当のことを隠していたり、偽っていたり、黙っていたり、はよくあることである。また、自分を表現することが苦手である場合もよくある。
 こうなると何か手がかりを得なければならない。この時に有効になるのは、チェックリストだ。見落としがないか、何か抜けていないかを効率的に明らかにするためには、チェックリストを利用するのが一番早い。「THE CHECKLIST MANIFESTO HOW TO GET THINGS RIGHT」 Atul Gawande 邦訳「あなたはなぜチェックリストを使わないのか?」アトウール・ガワンデ 普遊社 に詳しいが、常に検討が加えられているチェックリストは、「人を生かす」ためには最高の道具になる。チェックがつかない分野は、要は見落としているか、語られていないか、だ。
 もうひとつ、多軸という考え方がある。使用することには、賛否両論あるが、アメリカ精神医学会が決めたDSM4には多軸診断という方法が用いられている。最新のDSMでは多軸診断は見直されているようだが、相談の現場においてこの多軸という考え方は有効だ。人の悩みや相談の多くはそう単純ではない。いくつかの次元や要因が影響を及ぼしている。多軸診断の考え方が有効なのは、いくつかの要素を同時に考えることができることだと考えている。私たちに何らかの示唆を与えてくれる。
 仕事としての相談は、知らないことの不安に耐え、根気よく、知らないことのディーティルを上げていくことが必要だ。そのためには安易に答えを出さない訓練が必要であり、こうした訓練を積むことが専門職につながっていく。
 人を生かすために、自分は知らないでおく。その覚悟を常にもたなければならない。

産業化(その2)

 産業化は、生産力の向上を目指す。「誰でも」「確実に」「同じ」物をだ。

 社会保障改革は、限られた対象を福祉の対象者とするのではなく、全ての国民にリスクがあるのだから、福祉事業をサービスとして位置づけたことだ。介護保険制度は、高齢化社会を向かえるために、その財源と担い手が確実に不足することから導入された制度である。財源は、保険という新たな財源で手当てし、そしてサービスには、営利企業の参入をを許し、多様な供給源を用意した。
 そしてその全てがうまく回るように「ケアマネジメント」を導入した。制度化される前までは、英米の「ケアマネジメント」「ケースマネジメント」などと似たような方法論が盛んに議論されたが、結局「ケアマネジメント」に落ち着いた。
 方法論として語られていた時には、購入すべきサービスのみならず、ボランティアや家族や地域の住民などのサービスではない担い手を「インフォーマルサービス」として位置づけるよう要請されていたが、フタを開けてみればそのほとんどが、サービスの導入を前提としたプランになっていた。ケアマネジメントの導入に尽力した専門家達は、このような現状を嘆き、ケアマネジメントは矮小化された、本来の姿を取り戻すべきだという議論を盛んに行ったが、今の今まで根本的な問題は解決されておらず、結局は保険給付を減らし、「地域包括ケア」という新たな概念を持ち出すこととなった。
 ケアマネジメントが介護保険以外のサービスも含めた諸々の支援までケアプランとして位置づけるのであれば、理想を言えば、介護保険法にケアマネジメントを位置づけるのではなく、他の国家資格と同様に、別に法律を作る方が自然であった。ケアマネジメントをする者は介護保険法に基づき仕事をし、介護保険法によって報酬を得る。よって、介護保険が中心になる。もし、ケアマネジメントを、あらゆる制度を使うこととして法律に位置づけているのであれば、特に強調しなくても介護保険のサービスだけにはならなかったと思う。
 また、マネジメントという概念は「経営」の下位概念である。
ケアマネジメントには、2つの「マネジメント」が組みこまれている。1つはサービスを使う「個人」に対するサービス(理想的には人生ということらしいが、そんなことはとても現実的ではないと思う。)のマネジメント、そしてサービスという限られた「資源」のマネジメントだ。つまり、本人が望むサービスを提供できるようにし、かつ効率的にサービスを供給すること、ということなのである。
 そんなことは本当に可能なのか?
次は「産業化」の視点から、このことを検討してみたい。

記録 記憶 物語 そして孤独

 福祉や医療には記録が必要不可欠とされている。福祉ではケース記録や日報、医療ではカルテ、そしてどのような仕事でも様々な台帳の整備を求められる。

 実務的に言えば、記録は仕事の報酬を得るための成果物である。福祉や医療は、農業や工業などとは違い、製品や作物という成果物で評価はされない。仕事の性質上、人を必ず幸せにすることはできないし、その義務もない。治療の結果、病気や怪我が100%治るという保障をする必要もないし、それを求めてしまえば仕事として成立しない。報酬は、成功報酬であってはならず(最近はそうとも言えない部分が出てきたが)、個人の幸せという目標に向かって誠実に努力することの証拠を示して、プロセスを評価してもらう。記録を元に仕事の結果は点数化され、レセプトとして請求されることになる。
 いわば、仕事の成果物は「記録」だ。
 要求されるのは、「客観的に」「正確に」だ。「主観的に」「情緒的に」ではない。また、つまらなくても、同じことの繰り返しでも継続しなければならない。興味のあること、特別なことだけを書いても分析には不十分だ。
 「記録」(Recoad)は後の分析に耐えるものでなければならない。日々の仕事の中で、どんな問題が生じて、それにどんな対処をしたか、またどのようなプロセスを踏んだか、を検討し、次の仕事に生かすためだ。飛行機のフライトレコーダーのようなものだ。記録は、記録した本人のためのものではない。評価をする他人のために書くものである。この「他人」には記録した本人も含まれる。記録に残した時点で、それは自分の手を離れるからだ。だから後から読んでも、分かりやすく、共通の言語で書かなければならない。
 記録には、記録を書いた本人が経験したこと全てが書かれるわけではない。感情や心の動きまでは記録されない。嫌だと思ってもそれを記録に残すことは出来ない。それは困難さや失敗として記録される。心理傾向や感情の測定、コンディションの管理など、特別な意図を持った分析でなければ、記録として成立しない。
 本人のために書くものは、それは例えば日記だ。記録は記憶に残るものではない。記述を手がかりに事実を写しだすものだ。本人のために書くもの、それは個人の経験や感情や想いがこもった「記憶」(Memory)に他ならない。人が脳に記憶を上書きしていく。また、後から記憶を修正し、現在の自分の存在を肯定していく(否定するメカニズムが発動すれば、それは自殺だ)。日記のように記憶を残すことは、その時その時の自分を際立たせる。 

  以前、精神分析のトレーニングを受けた方に勧められたトレーニング(まるで修行のようだが)は、自分の面接を一字一句書き起こし、それを後に検討する方法だった。記録のようだがそれは自分の記憶を呼び覚ます。しゃべり方や言葉の使い方がどのようになされているか、自分の姿勢や態度が相手にどのように影響したか、を検討するには確かに有効だった。この方法をもっと発展させると、ボイスレコーダーやビデオでの記録になる。そこにはカルテや日誌にはない、聴覚や視覚に感受された人の感情や感覚が記録されている。焦りや不安や喜び、時には怒りも記録され、当時の自分を呼び起こす。ボイスレコーダーで記録した自分の声に愕然としたことがある。受容的に接していたつもりだったのに、その声は極めて攻撃的だった。
 このような記録は、記録ではなく、記憶だ。
 なぜならそれは、自分のためだからだ。記録を書くのは孤独な作業だ。それは自分のためではなく、だからそこに自分はなく、他人のためだからだ。そして、他人のためだからこそ、報酬がもらえるのである。
 しかし、人は物語を作る。記憶を紡ぎ、今「自分がここにいる」意義、そしてこれからどこに向かうのかを連続して語る。記録を読むのは、内なる他者であるが、物語は、今ここにいる自分が作り、そして構成していくものだ。
 例え、他人に評価されずとも、自分の存在というもっと根源的な必要性があるからだ。
小説、エッセイ、詩、音楽、絵画、造形・・・うまくいけば、自分の存在が、他者の存在をも呼び起こし肯定することになる。
 そのような技術は途方もなく習得が難しい。が、だからこそ取り組む価値があるのではないだろうか。