環境と負荷

 最近「年をとったなあ」としみじみ思ったことがある。こうして人は老いていくのだと。
 体力や筋力の衰え・・疲れがとれないことや「あれ、なんだったけ?」という経験は、本人が自覚できることであり、まあ、そんなもんかと、思える。
 ここ数年、毎週末に個人的に趣味でやっていることがあって、今年は新たにもうひとつ始めた。それもまったく新しいことではなく、以前やっていたことを復活させたのである。
 たまたま今月は、今までやっていたことと、新たに始めたことを1週おきに交替でやることになった。ひとつであった時には、準備にそれほど時間もかからず、さっさと支度を済ますことが出来た。新たに始めたことでもそれほど負担には感じなかった。
 しかし、である。違うことを1週おきにやると、「あれ用意したっけ?」「これも必要だった」などと、手間取ることが多く、結局1時間で済むところを3倍近くもかかってしまった。それに何より頭が疲れてしまい、めんどくさくなって、肝心のやる気が追い付かなくなる。
 これは要するに環境適応能力(様々な変化に対応する力)が衰えてきたってことだと思う。おそらくルーチンワークであればこれまでの経験から、効率的な手順や方法を駆使して衰えをカバーすることができるのだろうが、新たな手順が加わると、一から組み立てねばならない。それが実に大変なのである。新しいことを学習し実行する能力はあっても、それを遂行するだけのエネルギーが限られてしまっている。結論としては、めんどくさいが新しいこともやりたいのでこれも訓練だと思って、新たなことも続けることにした。
 日本で家を新築で建てることは、経済力が必要だ。一通りのことが終わって、定年近くの年になったり、親のからだが大変なのでバリアフリーにという理由で、住宅を新築することがある。
 しかし、経験的にどうもそれはマズイ気がする。年をとると環境適応能力は、他の能力と同様に低下する。新築の家は誰でも嬉しいから気持ち的には晴れ晴れとしているが、新たな環境に慣れるためにはけっこうなエネルギーを要する。「住み慣れた」場所のいい所は、新たな事態が生じても住まいの環境には慣れているので、新たな事態に対応できる余力はあることだ。新築では、新たな環境に馴染むために力を使った上で、さらに新たな事態に対応するだけの力がさらに必要となる。これはけっこう大変なことだ。
 おまけにモデルハウスや広告では、大きくて広々とした家を理想の家のイメージとする。家政婦さんを雇えるような経済力があるならともかく、本当に必要な家はコンパクトで自分の環境適応能力の範囲に収まる家だと思う。広ければ広いほど、掃除の手間も管理の手間も必要になるし、おまけに室内の移動時間が長くなる。住むだけで大変だ。(家は広い方が、住宅の供給側は儲かりますが・・)家は大きなものなので、洋服のように試着は出来ない。結果、図面やイメージでしか実物を把握する術はない。自分の経験が通用するようなデザインなら良いが、雰囲気が良いからとなんとなく選んでしまえば、実はなんだかしっくりこないということもありうる。好きなデザインが自分に似合うとは限らないのだ。
 新築になってしばらくしてから、どこか家族がギクシャクしたり、病気をしたり元気がなくなったりするのは、環境の変化も一因ではないか、と思う。バリアフリーにするよりも、古い馴染んだものの方がいいこともある。
 環境を変えるなら、若いうちに。