産業化(その3)社会福祉の光と影

 手元に福祉業界のメジャーな業界紙「月刊福祉」(全社協)がある。2015年6月号の特集記事は社会福祉基礎構造改革から15年ー社会福祉の光と影、であり、厚生省の在職当時に社会福祉基礎構造改革を推し進めたという、日本で一番大きな社会福祉法人の理事長炭谷茂氏のてい談が掲載されており、しかも社会福祉の光と影というからには、影をどんなふうに話すのか大変興味があったので、熟読させていただいた。
 要は「人権の確立」のために「措置」から「契約」へ改革をおこなった(光)が、「権利の保障」はまだまだだ(影)ということらしい。詳細は読んでいただきたいのだが、「社会福祉の専門家が社会福祉の改革を行う」理念や情熱とはこういうものなのだ、ということは理解できた。
 しかし、どうやら私とは視点が違うようだ。
 私は、社会福祉基礎構造改革の「光」は「サービスの量が圧倒的に増えた」ことだと思う。介護保険がなかったら、障害者総合支援法がなかったら、ここまでサービスは増えなかった。ここ10年のサービスの増え方は戦後最大である。全国どこでも同じようにサービスを、というスローガンの元、あたかもコンビニや大手フランチャイズによる全国展開のように、世間を賑わしたコムスンのような大手の事業所も現れるほど、次々に福祉関係の事業所が立ち上がった。また、次々に福祉の専門職を養成する学校が出来、福祉の担い手も人権や弱者に敏感な、どこかナイーブな変わり者ばかりではなく、どこにでもいるような若者が福祉に従事するようになり、特殊な世界ではなくなった。
 それと同時に、自分の腕を信じ、意地と誇りを持って仕事をする職人気質で「背中を見て覚えろ」というタイプの職員は今や絶滅寸前で、プレゼンテーションがうまく、マニュアルに沿って仕事をするコンサルタント的な職員が増えてきた。
 地方の都市や街が、かって賑わいをみせていた商店街が廃れシャッター街となり、どこに行っても同じようなチェーン店が立ち並び、便利で必要なものは一通り揃うけど、どこかつまらなくなったように、福祉も、サービスはあるけれど・・どこか物足りない、というような風景が当たり前になった。
 私はこれが、社会福祉基礎構造改革の影であると思う。
 つまり、福祉事業は、産業となったのだ。

 「措置」から「契約」へは、人権の確立にどこまで寄与したのか?

 措置時代からヘルパーを利用する方は言う。来るヘルパーは変わらないのに、書く書類は増える。昔はついでに頼めたことも、これは出来ない、あれは出来ないと言われる。いったい、私は何か悪いことをしたのか?
 障害者の人が就労支援施設で働きたいと言う。例え、週に1日、2日しか働かなくても、アルバイトやパートのように、履歴書を用意して面接を受けて、明日から来てくださいね、とは言われない。例外なしに身上調査のような聞き取りをされ、実習をし、会議をして、それでも行けるのかどうなのか・・まるで会社の就職試験だ。どうして、普通のパートのように働かせてもらえないのか?

 「措置」だろうが「契約」だろうが、行政がお金を出すとはそういうことだ。