アルコールに依存する(その3)

 そもそもアルコールは、合法的な薬物だからどんなに飲んでも、成人であれば問題にはならない。飲むことで、社会生活がうまくいかなくなったり、体を壊したり、アルコールを常に飲まないといられなくなる場合にはじめて問題になる。悩みや心配ごとがあって、お酒を飲み気分転換を図ることには何の問題もないのだが、悩みや心配ごとにより、いわゆるうつ病と診断される状態の人が薬の代わりにお酒を使うと、問題になる場合がある。これが3つ目のタイプだ。
 飲酒の習慣からアルコール依存症になって、その結果うつ的な気分の落ち込みを経験する場合と、うつ病が先にあってアルコール依存症になる場合は、結果は同じでもプロセスが違っているので、支援する側のアプローチが違ってくる。
 繰り返しになるが、身体依存性が形成されてしまえば、依存症の治療が優先になることは言うまでもないが、うつ病が先にある場合は、その原因に対するアプローチがなされなければ飲酒は止まらない。このような、お酒を薬の代わりに使用する人の多くは精神科の治療に抵抗があり、なかなか専門医を受診しない。もし、受診したとしても依存症と診断されたり、薬の処方だけで終わってしまうと、自分のこの悩みは結局分かってもらえない、と医療機関への不信感が強くなる。(逆に、そう状態で万能感を持った人が、その状態を維持する、もしくはもっと上げようと追求する場合もあるが、その場合は本人はいい状態だと思っているのでもっと医療につながりにくい。発達障害の人たちに近い)
 うつ病と言っても、これといって理由がはっきりしない場合もあるが、仕事や家庭、あるいは金銭面での悩みが具体的に解決できれば、アルコールなどの薬物に頼らなくても生活を建て直していくことができる人たちもいる。このような人たちの多くは、精神科の治療を中断することが多いので、中断した後のことを専門家は把握することが難しいが、世の中の具体的な問題を解決することによりこころの問題が解決することは多い。こんなことは当たり前のことだが、医療機関や相談機関は大変な時にしか関わらない(関われない)ので、当たり前のことが見えにくい立場にある。むしろ家族やその周囲の人たちの方が、理解しやすいかもしれない。
 考えていきたいのは、昼間から酒を飲んで何もしないからといって、アルコール依存症だとかアル中だとか判断してしまうのではなく、どうしてその人がお酒を飲むのか、ということから入っていかないと治療も支援もうまくいかないということだ。
 「どうしてお酒を飲むのか」を丁寧にたどっていくと、家族であってもよく理解していなかったり、誤解があったり、無関心や無視という姿勢に気がつく。そして本人が「孤独」であることが分かってくる。
 アルコール依存症の治療には、本人の「底付き感」が必要であるとすれば、支援者に必要なのは「理解と関心」である。