アルコールに依存する(その2)

 アルコール依存症の人は、なにかを忘れるために酒に走ることが多い。が、ある日出会った人は、お酒を飲むと頭の回転が速くなり、感覚が鋭くなると言っていた。自分はお酒を飲めば目をつぶって車が運転できると言う。どこに障害物があって、どこに他の車があるのか分かると言うのだ。耳が聞こえなくても運転はできるが、さすがに見えなければ運転は不可能だと思う。最近、レーダーで障害物を感知して自動でブレーキをかける車が発売されたり、自動運転ができる車が開発中と聞くが、それでも目を閉じて運転できる車などない。
 同じ頃、アルコール依存症ではないテンションの高くなった別の人が「目をつむっても自分は障害物を避けて歩ける」と言い出した。自分は目の前にあるものを感じて避けられると言う。まるでコウモリや深海に棲む生物のようだ。実際にやってみせると聞かないのでやってみてもらったところ、歩き出したらすぐにつまずき、盛大な音を立てて机と椅子にぶつかって転んでしまった。後で確認したところ、目をつぶって車を運転できると言った人も、結構な自損事故を起こして車を廃車にしていた。
 相談が進み、後日わかったのは、2人とも発達障害という診断があり、共通して感覚過敏があったということだ。これは憶測でしかないが、テンションが高くなると聴覚が研ぎ澄まされ、小さい音にも敏感に反応する。その音をまるで超音波のように皮膚で感じとれると感じたのではないだろうか。
 アルコール依存症の人は、アルコールで、もう一人の人は、おそらく精神薬の過剰な投与によって通常よりも感覚が過敏になったと自分は考えている。
 確かにアルコールの身体依存性が形成されれば、アルコール依存症なのだが、自分がアルコール依存症の専門病棟でお世話になった患者さん達とはまるで雰囲気が違う。自分の課題や問題を変に隠したりしないし、むしろどこが悪いのかを追求しようとする姿勢があった。身体がアルコールを欲しがってしまうとは言うが、相談の内容はアルコールというより、課題の解決のための現実的で具体的な手段の検討であった。まったく否認はない。意思の弱さというよりは、頑固さやこだわり、融通の効かなさの方が目立つのである。もっと感覚的に言えば、アルコール依存症の人に感じる退廃のにおいがない。本人もそれを感じていて、自分は確かにアルコール依存症だから主治医に言われてAAに参加しているのだが、どうも自分はこの人達と違うと思うと言い出した。確かにこちらもそう思うので、「発達障害ではないか」という見立てが一致したので、そこからの相談はいかに主治医に発達障害を認めてもらうか、という作戦会議になっていった。ちなみに本人は発達障害を認めてもらってからは、アルコールとも縁を切ることができた。
 その後も、アルコールの問題で相談を受けても、どうも依存症というより背景に発達障害があって、そちらの治療を優先した方がうまくいくのではないかと思える事例にいくつも出会ってきた。そして、そのような人達は根本的な課題が解決するとAAのような自助グループに頼らずとも、自然とアルコールから離れることが出来た。
 死んでしまうのではないかと思うほど、お酒に溺れていてもすっぱり辞めることが出来た人もいる。もちろん、アルコールの身体依存性が形成されてしまえば、専門的な治療は必要だ。が、一見アルコール依存症に見えても、発達障害特有の課題がある場合には、発達障害の治療を優先するだけでアルコールの問題が自然と消滅する人達がいるのも確かだ。アルコール問題の相談を進める上では、このことは検討しておかねばならないと思う。(続く)