ジュースと人権

 買い物を頼まれる。いつも同じ物をそろえ、いつも同じ物を食べ、そして同じ日常を送りたい人がいる。しかし、今はそれもなかなか許してくれない。気に入った物を買い続けたいと思っても商品の開発競争は激しく、定番商品にならなければあっという間になくなってしまう。前より便利な機能がつきましたとはいうのものの慣れ親しんだ操作は少しずつ代わり、たまにしか使わない機能のためにこれまで覚えてきたことは役にたたなくなる。同じ日常を送りたい人にはストレスな毎日だ。
 ある日、いつものジュースを買いに行った。そのジュースは売り切れで、往復で30分かかるスーパーにはそのジュースはあるかもしれない。でも、他の物は頼まれた通りに買えたし、30分もかかれば余計な時間がかかってしまう。今日は暑いから買わないというのも困るだろうから、似たこのジュースを買っていくことにする。
 届けると、しかしこれが気に入らない。今日はどうしてもいつものジュースが飲みたい。なんでこんなものを買ってきたのか、ちゃんと買ってきてくれ・・・と言われてしまった。自分で買いに行ってもらいたいところだが、出来ないから頼まれている。さて、困った・・・
 「人権」が大切だと言う人たちはよもやこんなことで困るとは思いもしないだろうが、現場はこのような些細なことで悩む。人には権利がある。健常者であれば、自分で判断して買いに行くことができるだろうが、それが出来ないから困っているのだ。選択の自由を保障しなければならない。福祉を学べば必ず人権の大切さを学ぶ。決断しなければならない場面で、頭のどこかを教えがよぎる。
 最も楽な答えは、こうだ。こだわりがある人はこういうことも想定して、あらかじめ長めに時間を確保して計画しておく。時間に余裕があれば、本人が満足できるサービスが提供できるし、売り上げも伸びる。こちらも悩まなくても済む。「本人らしい生活」も保障できる。ケアマネに頼んで時間を伸ばしてもらおう。措置じゃなくて契約なのだから。
 私の最近の答えは、こうだ。世の中、ジュース1本のために30分も時間をかけることはノーマルな考えではない。人生にとって、大切なのは欲しいジュースを1本買うことではなくて、欲しいジュースがなかった時にどのように折り合いをつけて、納得できるかという知恵だ。ここは多少ぶつかっても、ジュースは次にしてもらうことが大切だ。今日はそれで時間がかかるかもしれないが、次にこのような本人が予測できない事態があった時に代替案を選択してもらえるかもしれない。同じジュースがいつまでも売っているとは限らないから。
余計なお節介?上から目線?人権?・・・いえいえ。合理的な配慮ですから。