知らないことを知る

 とても有名な言葉に、「無知の知」がある。かっこいい言い方をすれば「知らない自分を知れ」とでもなるのだろうか。相談の場面では、少し意味合いが異なってくる。自分の目の前に現れた人をどうも理解できない、どうもしっくりこないと感じた時に、いや、人によってはまったく感じないこともあると思うが・・何か知らないことがあると考えるのが自然だ。このような時はたいてい自分の経験や知識は邪魔になる。自分の経験や知識は、推測や思い込みを作りやすい。わからないままでいること、未知のものをそのままにしておけるほど、人は強くない。できるだけ事態を把握していることが自分を生かす確率をあげるからだ。ほぼ本能的に推測する方向に頭は働く。
 だが、福祉は「自分を生かすことよりも人を生かす」職業だ。人を生かすためにはまず自分をなだめ、自分を殺さなければならない。具体的には、何を知らないのか、何がわかっていないのかを特定する作業をしなければならない。相手が相手自身を生かすために、本当のことを隠していたり、偽っていたり、黙っていたり、はよくあることである。また、自分を表現することが苦手である場合もよくある。
 こうなると何か手がかりを得なければならない。この時に有効になるのは、チェックリストだ。見落としがないか、何か抜けていないかを効率的に明らかにするためには、チェックリストを利用するのが一番早い。「THE CHECKLIST MANIFESTO HOW TO GET THINGS RIGHT」 Atul Gawande 邦訳「あなたはなぜチェックリストを使わないのか?」アトウール・ガワンデ 普遊社 に詳しいが、常に検討が加えられているチェックリストは、「人を生かす」ためには最高の道具になる。チェックがつかない分野は、要は見落としているか、語られていないか、だ。
 もうひとつ、多軸という考え方がある。使用することには、賛否両論あるが、アメリカ精神医学会が決めたDSM4には多軸診断という方法が用いられている。最新のDSMでは多軸診断は見直されているようだが、相談の現場においてこの多軸という考え方は有効だ。人の悩みや相談の多くはそう単純ではない。いくつかの次元や要因が影響を及ぼしている。多軸診断の考え方が有効なのは、いくつかの要素を同時に考えることができることだと考えている。私たちに何らかの示唆を与えてくれる。
 仕事としての相談は、知らないことの不安に耐え、根気よく、知らないことのディーティルを上げていくことが必要だ。そのためには安易に答えを出さない訓練が必要であり、こうした訓練を積むことが専門職につながっていく。
 人を生かすために、自分は知らないでおく。その覚悟を常にもたなければならない。